体験雑談

人生で選択に迷ったら

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人生は、選択の連続である。
「Life is a series of choices.

ウィリアム・シェイクスピア

シェイクスピアが言うように、まさに選択だらけの世の中に私たちは生きています。

特に、最近はIT化が進み、スマホ・パソコン等の媒体から休む間もなく選択肢を投げつけられています。

その過程で私たちは、一喜一憂している。

予測もつかないようなことが日々起こり、喜怒哀楽を揺さぶられながら、時に大きな失敗をして落ち込み、立ち直れなくなります。

失恋、リストラ、借金、破産、離婚、死、信頼する人からの裏切り。

そんな災難からどうやって立ち直れば良いのか?

本日は、「失敗」と「落ち込み」のスペシャリスト:キヨッピヨが自分の経験を基に解説していきたいと思います。

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キヨッピヨの始めの大失敗

私は、幼少の頃はいじめられていましたが、中学の頃は、スポーツ万能で勉強も学年で上から数えた方が早いほどの成績でした。

中学時代

中学の時は、皆から「頭が良い!!」、「運動神経が抜群!?」とか言われ、チヤホヤされていたので、調子に乗っていたかもしれません。

あだ名は、何でも一番だから、「エース」と呼ばれていました。

そんな私も高校受験を迎え、志望校にめでたく合格し、華々しかった中学生活を終えます。

高校生になって

華々しかった中学生活でしたが、高校生になると環境が激変し、鬱になってしまいます。

そして、入学して1か月で登校できなくなってしまいました。

休んでいる間は、過去を振り返るたびに落ち込んでいました。

その時は、鬱状態だったので全てをネガティブに考えてしまいます。

そして、中学の頃の良いはずだった記憶までも疑い始めるのです。

例えば、高校を休んでいる時にふと、ある物を見つけます。

中学卒業の時に、クラス全員でそれぞれメッセージを書き合った「寄書」。

読んでみると、皆同じようなことを書いています。

男子は大体、「スポーツ万能で、頭が良くて、何でもできるエース。高校に行っても頑張ってください。」

女子は、「あんまり話したことはありませんが、足速かったですよね。頑張ってください。」みたいな…。

女子からのメッセージのほとんどに、「あんまり話したことはありませんが、(仕方なしの誉め言葉)…。」という前置きがついていました。

そして、全て文章は単調。

これを見て、

と、さらに暗くなっていきます。

キヨッピヨ
キヨッピヨ

中学生活いろいろと頑張って、努力していたけど、俺の存在って何だったんだろう??

そのまま3か月ほど学校を休んでいると、担任の先生が心配して家にまでやってきました。

先生

いつまで学校を休んでるんや?何があってん?

休んでる理由なんて、特にありません。

いじめられているわけでもなかったし、強いて言うなら新しい人間関係作りが嫌だったのかもしれません。

でも、家にまで来られると、これ以上迷惑をかける訳にはいかないと思い、次の日から再び学校に通い始めます。

そして、この謎の鬱の病は、自然消滅したのです。

一体何が悪かったのだろうか??

こうなった原因は、考え方にがあります。

一番良くなかったのは、「完璧主義」だったところにあると思っています。

特に私の場合、中学の頃の自分に強く依存していました。

キヨッピヨ
キヨッピヨ

自分は、何でもできる。できなければならない。他人に負けてはいけないんだ!?

この考え方が頭から離れず、高校生活に持ち越してしまったのです。

高校は、同じ入試に合格してきた人たちの集まりなので、中学と比べると周りのレベルは高い。

皆同レベルの中でこの考え方をしていると、しんどいのは当然です。

完璧主義の私は、思い通りに行かずつぶれてしまったのです。

立ち直ってからの考え方

立ち直って再び登校し始めましたが、「完璧主義」は、治っていませんでした。

学校の授業を1学期間受けてないので、まったくわからない。

ここからは、常に私の成績は、学年最下位になってしまいます。

でも、完璧主義者の私は、

キヨッピヨ
キヨッピヨ

俺は、学校を休んでいたから最下位なだけだ。ちゃんと授業を受けていたなら、上位のはずだ。なぜなら、俺は「エース」なのだから。

こう考えていたのです。

やれば出来るけど、やらなければ出来ない。

そんなことは当たり前なのですが、その当たり前を言い訳に生きていました。

その裏には、やって出来なかったらどうしようという気持ちがあるのでしょう。

これが、「完璧主義」の落とし穴なのです。

最下位生活との出会い

そこから私の最下位生活が始まります。

最下位を繰り返してしまうと、負け癖がつきます。

実は、1学期間学校を休んでいましたが、運動の方は、それほど衰えていませんでした。

というのも、ちょうど私が再登校した週にスポーツテストがあったのですが、そのスポーツテストは、学年で3位でした。

野球部に入っていたのですが、その中でも一番足は速くて、全然通用するレベルでした。

でも、その野球部には変な掟があって、それが嫌で辞めるきっかけとなります。

その掟というのが、「野球部の練習を1日休むごとに近くの土手を3周走らなければならない。」というものです。

1周1kmくらいあり、私は練習を100日くらい休んだので、300km走らなくてはなりません。

休んだ日数をちゃんとカウントしてないので大体の数の300kmです。

体調を崩して休んでいたのに理不尽過ぎると思いましたが、休んだのは確かなので一か月くらいかけて走り切りました。

皆、「すごい、凄い」と称えてきたのですが、その態度が気に食わなかったので、走り切ったその日に辞めてやりました。

負け癖がついたのは、この時からです。

負け癖の怖さ

この辞め方は、一見筋を通したかのように見えますが、自分の計画とは真反対の方向に進んでいます。

でも、自分ではそれに気付かず、その時の感情に任せて行動してしまいました。

この時、すべきだったのは、一旦冷静になり自分がなぜ野球部に入ったのかを考えるということです。

この時の私は、野球が好きでした。

チャンスがあるなら、野球に関わる仕事ができたらと思い、野球部に入部したのです。

それなのに、全て投げ捨てて、感情に任せて退部しました。

私は、この選択で、計画していたことが台無しになってしまったのです。

なのにもかかわらず、筋を通して辞めてやった。

なんなら、格好良いだろうと言わんばかりに胸を張ってこのエピソードを周りに話していました。

実際は、人生を変えるほどの大きな敗北に喫っしているのに…。

留年の危機

次に私を襲った出来事は、高2の3学期末テストでした。

この時の私も相変わらず、最下位を貫いていました。

そんな時に担任の先生が、私のところにきてこう言います。

お前、このままやったら留年やぞ!?欠点が3個以上あったら留年になるから、ちゃんと勉強せぇよ。

欠点というのは、5段階評価の1のことです。

私は、欠点が毎回10個くらいあったので、ほぼ不可能と言っていいくらいの話でした。

テストで良い点を取るのも、過去の勉強を短期間で理解しないと解けません。

私は、そこで諦めて、別の方法を模索しました。

一番嫌な結果は、留年。

1年下の後輩と一緒に、さらに2年間過ごすというのが一番避けたい結果です。

なら、別の学校に行こうと考えました。

どうせなら、定時制の学校に行けば、恥ずかしいこともないのでは?

でも、昼仕事をして、夜通うのは嫌だな。

と、いろいろ考えていたら、全日制だけどいろんな年齢の人が混ざって勉強する学校がありました。

しかも、単位制なので、3年になってから必要な単位数をとれば、通常通り18歳で高校を卒業できるという制度の学校を見つけました。

キヨッピヨ
キヨッピヨ

良し!?ここに転校しよう!?

私は、3学期末テストを受ける前に、保険として転校の手続きをし、いざテストに挑みます。

案の定欠点だらけの結果に終わります。

でも、私は平気。

なぜなら、保険を打っているから。

欠点だらけでも何の危機感もなく、笑いながら友達と話していると、担任の先生がすごい剣幕で私のところに近づいてきます。

何を考えとんじゃっ!?お前、このままやったら留年やぞ。全教科の先生のところに行って、土下座するなりして、頼み込んで来い!?

先生の言うとおりに、頼みに回ったら、何とか進級することができました。

そうなんです。出来てしまうのです。

これに関しては、結構な驚きな結果でした。

後で知ったのですが、担任の先生が私のために何度も、留年しないように他の先生に頼み込みに行ってくれたみたいです。

結局、転校を取り消し、同じ学校で3年に進級することとなりました。

この留年事件こそが、「キヨッピヨの初めの大失敗」です。

表情では笑っていたものの、この時は、かなり焦っていました。

ピリピリしていて、親に八つ当たりしたこともありました。

この留年事件が解決して、考えを改めたことを覚えています。

実際、卒業するためには、テストで満点を取る必要はなかったのに。

欠点を取らなければ良いだけなのに。

私の完璧主義のせいで、勉強しようという気にすらなれませんでした。

やるからには良い点を取らなければならないと思っているからです。

そして、やるのはしんどいし、やって良い点が取れなければ、自分の能力の低さに気づいてしまう。

これが、完璧主義者の裏の顔です

この後は心改めて、ちゃんと勉強するようになり、無事卒業することができました。

その時の担任の先生には、本当に感謝しています。

そして、人生で大切なことを学ばせてくれて、ありがとう。

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模範解答は、一つじゃない

この「私の始めの大失敗」で学んだことは、いくつかあります。

失敗から学んだこと
  • 「完璧主義」はいらない。
  • 選択肢は、いくらでもある。

「完璧主義」はいらない。

「完璧主義」は、逃げ口上です。

逆に完璧なんてのは、どこにもありません。

自分が完璧と思っても、他人から見たら完璧じゃなかったり、その逆もあります。

なので、「完璧主義」を捨て、基礎からコツコツと学ぶことが、人生を豊かにするコツだと思い知らされました。

選択肢は、妥協すればいくらでもある。

私のエピソードを読んだ通りですが、選択肢はいくらでもあります。

私は、留年の話が来た時かなり焦りました。

本当に嫌だったからです。

本当に嫌なので、調べまくりました。

すると、こんな順序で回避方法が見つかります。

留年リスク回避方法 最悪な結果順
  1. 今の高校に残って後輩と同じ学年になる。
  2. 別の高校へ高校2年生として転校する。
  3. いろんな年齢のいる定時制高に転校してさらに2年通う。
  4. いろんな年齢のいる全日制高に転校してさらに通常通り18歳で卒業する。
  5. 今の高校に残って普通に進級する。

最初は、選択肢がないと思っていましたが、調べれば調べるほど出てきます。

そして、出来てきた時の感情の流れが下記のとおりです。

2が見つかったとき、最悪2で良いかと思いました。

3が見つかったとき、3の方が良いと思いました。

3に決めようと思ったときに、4の情報を仕入れました。

4に決めたら、5で行けてしまいました。

逆に考えると、選択肢が1しかなければ、1を選んいでます。

高校卒業しないよりは、良いですから。

なので、妥協はしようと思えばいつでもできるのです。

要は、心の持ちようです。

それより大事なのは、選択肢をちゃんとわかっていることです。

選択肢の優劣順序をしっかり知っておけば、最善の選択ができます。

私はこのときから、悩んだときは、選択肢の優劣順序を紙に書くようにしています。

たとえ選択肢が一つしかなかったとしてもです。

そして、その選択肢に自分で決めるという作業をしてください。

私は、これをするようになってから、後悔することはありません。

何よりも、自分で選んだということが心に刻まれるからです。

これが大事なことだと思っています。

後悔というのは、他人のせいでしてしまった選択のことです。

もし、留年の話が出たときに何も考えずに流れに任せていたら、同じ結果で3年に上がれていたとしても、卒業出来ていなかった気がします。

そしてその時の感情でこう言うのです。

キヨッピヨ
キヨッピヨ

どうせ留年する年やったら、2年の時にしといたら良かったわ。先生に頼みに回った意味ないわ。

このように他人のせいにしないためにも、選択は自分ですることを心がけましょう。

重大な選択をするときは、選択肢をすべて紙に書き、その中から自分で選択しましょう。

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