体験雑談

それでも野球選手になりたかった

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小学生の頃、いじめられっ子だった私は、どうにか自分を変えたいと思い、いろんなことにチャレンジしていました。

4年生になった頃、近所の6年生の先輩に誘われて子供会のソフトボール部に入部します。

それまでは水泳をやっていたのですが、コーチからのいじめが嫌で、辞めたいと思っていた時の出来事です。

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スイミングスクールでのいじめ

スイミングスクールには、週に二回、少し高めのお金を払って通わせてもらっていました。(5,000円/月くらいかな…。)

決して裕福な家庭ではなかったのですが、母親が、何か集中できることを一つでも、ということで習わせてくれていました。

ですが、私は、コーチからのいじめが嫌で辞めたかった。

コーチからのいじめの内容は、泳いでいる最中に持ち上げられて、別のレーンに投げ飛ばされたり、泳いでる最中に海パンをずらされたり、今では問題になるレベルのことを毎回、毎回、当たり前のようにされていました。

投げ飛ばされたときにプールサイドに頭をぶつけて血が出たこともありました。

今思うと、お金を払ってあんなところに通っていたなんて、想像したくもないです。

逆にお金をもらっても行きたくないレベルでした。

丸顔ぞっと!?

そんな中にも希望が一つだけありました。

それは、月に1回の進級テスト。

クリアすれば、上のクラスに上がって、違うコーチに教わることができるのです。

しかし、進級したのに、そのタイミングでコーチのクラスの編成もあって、連続でそのいじめられていたコーチに当たってしまうことになったのです。

その時は、本当に辛かった。

その時期に先輩にソフトボール部への誘いを受け、母親に頼み込んで水泳を辞めさせてもらったのを覚えています。

その時の私は、藁にもすがる思いでした。

ソフトボールがしたかったわけではなく、水泳を辞めたい。

その一心で母親に懇願しました。

母親は、集中できることが見つかったのであれば、ということで、ソフトボール部への入部を許可してくれます。

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ルールも知らずにソフトボールを始める。

私は、ただただ水泳を辞めたかったという理由でソフトボール部に入部したので、ソフトボールには全く興味がありませんでした。

なんだったら、正直、何をするかもわかっていませんでした。

ソフトボールが、野球に似たスポーツだとは聞かされていましたが、野球が何かもわかっていませんでした。

何もかもわからないまま1週間が経って、ソフトボールをやることが日に日に飽きてきます。

とりあえず、楽しみが欲しかったので、仲の良かった友達を二人、誘うことにしました。

一人は、タケシ君。

タケシ君も私と同じスイミングスクールに通っていて、同じコーチに悩まされていました。

なので、ソフトボールへの誘いを二つ返事で引き受けてくれました。

もう一人は、マサル君。

マサル君は、私の家の隣の隣に住んでいる幼馴染です。

経験がなくても要領が良いので、何でも簡単にできてしまうタイプの子です。

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天才肌のマサル君

実は、小学1年生の時から私とタケシ君は、子供会の将棋部に通っていました。

そして、2年生になった頃、マサル君が転校してきます。

転校早々に、将棋部に入らないかと、マサル君を誘ってみたところ、断ることなく素直に入部を決めてくれました。

入った日がたまたま大会の初日で、ルールを覚えたてのマサル君でしたが、大会に参加することとなりました。

入ってすぐにぼろ負けして、嫌になって辞めないかと心配していましたが、結果はその逆でした。

驚くことに、その大会で優勝してしまったのです。

その大会は、部活生(30人程度)の中だけで行われたものですが、6年間通い続けた6年生も複数人混ざっていました。

そんな中、トーナメントで全勝し、優勝してしまったのです。

この時のメンバーとは今でもたまに会うのですが、伝説として語られています。

ソフトボール部での劣等感

そんなこんなで3人仲良くソフトボールを始めるのですが、私はデブでバカでした。

なので、すぐに二人に差をつけられてしまいます。

タケシ君は、もともとスポーツ万能で、4年生なのに6年生よりも足が速くて、バットにちょっと当てれば、ヒットになります。

マサル君も天才肌なので、すぐにルールを覚えて、それなりのことをやってのけます。

このソフトボール部は、上級生(5、6年生)の上手い人達で構成されたA軍下級生(1~4年生)の見習いで構成されたB軍に分かれて練習します。

A軍は、結構強くて全国レベルです。

その前の年に、全国大会を優勝しているので、この年の6年生も自動的に全国大会に出場できます。

数か月経って、タケシ君とマサル君は、B軍のユニフォームをもらって試合に出場します。

一方、私は、まだルールもわからず、練習中もさぼって外野で帽子を使って虫取りをしている始末。

そりゃ~、差がついてもおかしくないわというありさまでした。

でも、私も顔では笑っていましたが、心の中は、劣等感でいっぱいでした。

そして、入部して、6カ月の月日が流れます。

キヨッピヨ、B軍のユニフォームをもらう

この頃には、皆、B軍のユニフォームをもらっていました。

私もそのタイミングでユニフォームをもらいます。

というのも、この時期にA軍が全国大会に出場するということで、応援に行くために全員のユニフォームがそろえられたのです。

結局、A軍は、全国大会を1回戦で負けてしまいました。

私はその日、用事で、応援しに行くことができず、ユニホームを着ることなく終わってしまいます。

そんな私も練習試合に参加できる機会を得ます。

B軍の練習試合です。

その日は3試合行われる予定で、「1試合目は、レギュラーメンバーで。2試合目は、補欠メンバーも少し入れ替え。そして、3試合目には、2試合目で出れなかったメンバーも全員出場させる。」という方針を監督から聞かされます。

この話を聞いて、私の心臓は、ドキドキでした。

初めての試合で上手くできるのかという不安と、初めて試合に出ることが出来るという期待、喜びなど、いろんな感情が、私の心に溢れかえります。

試合ごとに、円陣を組んで出場メンバーの発表が行われます。

1試合目は、もちろん私の名前はありません。

しかし、タケシ君、マサル君は、スタメン。

「1番ショート タケシ!?」

「3番サード マサル!?」

しかも、その中でも柱的存在でした。

この時の私の気持ちは、劣等感こそありましたが、まだ、

「仕方がない、自分は外野で虫を取ってるレベルなのだから(笑)」

そんなくらいにしか思っていませんでした。

しかし、2試合目も3試合目も一向に私の名前は呼ばれません。

そして、3試合目が始まって、まだ呼ばれていないのは、残り3人。

ヨシロウ君とナオト君と私だけ。

そして、ヨシロウ君の名前が呼ばれ、最終回に代打でナオト君が呼ばれます。

取り残されたのは私のみ。

ナオト君がそのまま三振して、ゲームセット。

結局、私の名前が呼ばれることはありませんでした。

キヨッピヨ
キヨッピヨ

あれ??俺の出番は???

この時、私は、初めて人前で涙しました。

悔しくて、悔しくて、意味が分かりませんでした。

でも、泣いてることを気付かれたくなくて、帽子で顔を隠します。

このB軍の中には、私よりも年下の2年生の子達もいました。

そんな子達も当たり前のように試合に出してもらって、私は、存在していないかのような、そんな気持ちになりました。

この日から私は、真剣に練習をするようになります。

真剣になっても出来ないこと

私が真剣になったからといって、何が変わるわけでもありません。

練習量が増えるので、それなりには上達します。

しかし、私と同じように皆も、真剣に練習をしています。

4年生の3学期になる頃、タケシ君とマサル君は、A軍に昇格します。

4年生でA軍はこの二人だけです。

ここからは彼らとは、一緒に練習することができません。

何を隠そう、私はまだ、B軍のベンチなのですから。

そんな状況でも真剣になると、野球が好きになってきます。

そして、私は思います。

「野球選手になりたいかもしれない。」

つづく

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